そもそも「地球に優しい生き方」とは今、世の中に蔓延する「競争至上。とにかく勝てばいい」「お金をたくさん持つことが豊かである」という価値感とは相入れないものなのだろう。
オーストラリア先住民のアボリジニは、同国人口の2.4%を占め、2006年時点で46万人ほどが暮らしている。かつて徹底した人種差別により、多くの命が犠牲になった民族でもある。1788年、イギリスによる植民地化以来、入職者によるハンティングなどによって殺害されたり、西洋から持ちこまれた病気、人種自体を消滅させることを目的にした政策により、50万~100万人以上いたアボリジニは、1920年には約7万人に減少した。そして、親と子どもを引き離し、子どもを街で学校に通わせ、白人のように生活することを強制したが、それが馴染むことはなかった。
西洋的価値のお仕着せであったわけだが、もともと狩猟生活をしていた彼らにそれが馴染まなかったことは想像に難くない。西洋人から見ると「勤労」「働く」という概念を持たない彼らは「怠け者」「下等な民族」と映ったようだ。
そんなアボリジニだが、「ドリームタイム」という物語がそれぞれの部族にあって、この物語を代々伝える文化がある。例えば、そのひとつに「祖先の精霊が荒れ地、つまりこの地上を旅してまわりながら、動植物をはじめ、月、空、星、太陽、水をつくり、それが終わると自分達も、動植物など地上にあるものになった」という物語がある。
アボリジニ一人ひとりには、ワラビーやカンガルーなどオーストラリアに住む身近な動物が、自らに宿る異なる神として決まっているのだという。大地を敬う精霊信仰であり、祖先の姿をトーテムにして敬う。アボリジニはこうした行為を通じて、地上のものと自分がどのようにつながっていることを理解するのだという。
そして、雑食性のアボリジニだが、自分の神だけは食べないのだそうだ。すべてのものを獲り尽くしてしまわないようにする知恵だとも言われる。
勝ち組・負け組という言葉に代表される弱肉強食を是とする論理、リーマンショックやヨーロッパの金融危機の発端となった金融の「強欲」がまかり通る世の中とどちらが文化的と言えるだろうか。「後世の子孫のことを考えて獲り尽くさない」。本当に地球に優しい生き方とは、アボリジニのような生き方であるということは、多くの人が感じるところであろう。